4.在宅介護のはじまり


 母が半年間の入院生活を終えて家に帰ることになったとき、どうやって面倒を見ていくかについて、牧病院のソーシャルワーカー、系列の在宅サービス事業所のケアプランナーの方と相談した。前にも書いたように、当時父は食事がのどを通りにくくなり自宅で寝たり起きたりだったので、当分の間、買い物や調理など家事援助のため月〜土の毎日ヘルパーさんに来ていただくことにし、さらに週3回の訪問看護で母の身体の状態をチェックしたり、リハビリのお手伝いをしていただくことになった。
 その年(平成12年)の4月から始まった介護保険制度のもと、すでに父も母も「要介護」の認定を受けていたので、その制度を利用してサービスを受ける契約をかわす。母はまだまだ足元がおぼつかない状態で、車椅子、ポータブルトイレ、お風呂用の椅子も手配した。

 「ただいま帰りました」と母。「おう」と父。母にとっては待ち焦がれた瞬間だったろう。入院先で毎日のように「うちに帰りたい」と訴え、少しでも早く帰ろうと歩行訓練などのリハビリはそれは真剣にやっていたのだから。ベッドわきのポータブルトイレの使い方などを説明すると、少し疲れたのかすぐベッドに横になり、「やっぱりうちはええわあ、これで安心や。おじいちゃん(父)はどこに寝るのん」「並んでちゅうわけには行かんけど、同じ部屋にふとん敷いて寝てもらいます」「わたし、夜中になんべんもトイレ行くからそばで寝てて目ぇさましたら気の毒やなあ」「何いうてんねん、おやじもそうやねんから、おたがい様とちゃうん」「そうやな」……ひとしきりしゃべったあと、ほっとしたのか寝てしまった。
 ほどなくケアマネージャーの方が見えて家の中を点検。はじめはあまり無理をしないように、だんだんと以前の生活に戻していくよう気長に構えることが大事だと教えていただいた。このとき、ひとつ気掛かりなことがあった。それは母と、毎日来られるヘルパーさんとが仲良くやっていけるだろうかという心配である。だれでも他人の世話にはなりたくないと思うし、お年寄りにはその意識が強いように思われる。まして母は少し神経質なところがあり、気に入らないと表だっては言わずにストレスをためていってしまうはずである。ヘルパーさんにお願いする仕事の柱の一つは食事の用意だが、食べ物のの好き嫌いが結構ある母にとっては、これは難問になりそうな気がした。それに比べて買い物や掃除などはお互いに慣れてくるのは早いだろう。
 次の日、ヘルパーさんが来られはじめての顔合わせ。わりと年輩の方でこれならある程度話も合うんじゃないかと少し安心した。派遣事業所は、旭区にあるNPO法人フェリスモンテの在宅サービス部門(おたっしゃセンター)である。契約時のていねいな説明や非営利法人であることなどから信頼のおける感じはしていたが、後日いろんな人から他の派遣業者さんについてのよくないうわさ話を聞き、母にとってはいい事業所であり、いい人に来ていただいて幸運だったように思う。
 当初はやはりと言うか、食欲があまりなくご飯はふた口ほど、おかずもほんの少しで横に寝ている父も心配するほどだった。もちろん退院直後で体調もまだまだ十分ではない上に、あれほど元気だった父が寝込んでおり、さらに介護のためとはいえヘルパーさんや訪問看護の看護士さんがしょっちゅう出入りし、自宅なのに慣れない環境で戸惑いや気疲れもあったのではないか(表面的には言うことをよくきく素直な患者だったが)。
 母が待ち望んだ父とのもとの生活も、一週間ほどして父が胃ろう造設のため入院することになり、母にとっては思いもかけない一人暮らしの生活が始まった。

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