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名馬ブケファロス幸福論 アラン(串田孫一+中村雄二郎:訳) 白水社 幼い子供が泣いてどうにもなだめられないと、乳母はよくその子の性質や好き嫌いについて、 すこぶる妙をえたことを考える。遺伝までひっぱり出して、お父さんのときからもうその素質がある などという。こんな思いつきの心理学をつづけているうちに、乳母はピンを見つけたりする。ピンが すべての本当の原因だったというわけだ。 アレクサンドロス大王が若かったころ、名馬ブケファロスが献上されたが、どの調教師もこの あばれ馬を乗りこなすことができなかった。ありきたりの人間だったら「こいつはたちの悪い馬だ」 とでも言っただろう。ところがアレクサンドロスはピンをさがし、まもなく見つけた。つまり、ブケファロスが 自分の影にひどくおびえていることに気がついたのだ。おびえて跳ねあがれば影も跳ねあがるので、 きりがなかった。だが、彼はブケファロスの鼻づらを太陽のほうに向けてそのままに押さえ、馬を安心させ、 疲れさせることができた。こうしてアリストテレスの弟子は、情念の本当の原因を知らないかぎり われわれは情念に対してまったく無力なことを、すでに知っていた。 多くの人々が恐怖というものをしりぞけた、それももっともな理由を示して。だが、こわがっている者は 理由なんか耳を貸さない。心臓の鼓動と血のざわめきに耳を傾ける。学者ぶった人間は危険から 恐怖が生ずると推論する。情念的人間は恐怖から危険が生ずると推測する。両方とも道理にかなおうと しながら、ともにまちがっている。だが、学者ぶり屋のまちがいは二重だ。彼は本当の原因を知らないし、 また情念的人間のまちがいがわかっていない。こわがる人間はなにか危険を考え出す。そして、十分に 確認されたまぎれもない恐怖を説明するのだ。ところが、なんの危険がなくとも、ちょっとびっくりしただけで、 こわくなるものだ。たとえば、ごく近くで、それも思いがけなくピストルの音がしたとか、思いがけない人物が いたとかいうだけでもそうである。マセナ将軍は、うすぐらい階段で立像を見てこわくなり、いちもくさんに 逃げ出した。 苛立ちの不機嫌だのは、往々にして、あまり長いあいだたちどおしていたことから生ずる。そういうときには、 不機嫌な人に対して道理を説いたりせずに、椅子をさし出してやることだ。物腰が第一だち言った外交官 タレーランは、彼が考えた以上のことを言ったわけだ。彼は他人を不愉快にすまいという配慮から、ピンを さがし、ついにみつけたわけである。このごろの外交官ときたらどれも、産衣のなかに変なぐあいにピンをつけて いる。そこからヨーロッパのいざこざが持ちあがる。そして、だれでも知っているように、ひとりの子供が泣き出す ものだ。そのうえ、わるいことには、泣くために泣く。乳母たちは職業がら、こつを心得ていて、子供を腹ばい にさせる。こうすればすぐに体の動きも変わり、気分も変わる。これは、あまり高いところをねらわない説得の 術だ。第一次世界大戦の災禍は、要人たちがみな不意打ちをくらって驚いたことから生じたものと、私は 考える。不意打ちをくらてこわくなったのだ。恐怖をいだくときには、怒りもまた遠くない。苛立ちが興奮に つづいておこる。閑暇や休息から突然よびもどされたときは、好都合な状況ではない。そういう状況では しばしば気分が変わる、それもあまりに変わりすぎる。驚いて目をさました人と同じで、目をさましすぎるのだ。 が、人間は手に負えないほど悪いなどとは断じて言ってはならぬ。人間の性格はこうだなどと言ってはならぬ。 ピンを探すことだ。 1922.12.8 >>トップページへ 何かあればBBSまで |